地域元気活動

地域・元気活動紹介

2020/03/24

「磐田の歴史伝道者として:岡部英一さん(68歳)」(磐田市)

緑十字機の碑の前にて 自著「緑十字機 決死の飛行」を手に持つ岡部英一さん緑十字機の碑の前にて 自著「緑十字機 決死の飛行」を手に持つ岡部英一さん


 私は今日(令和2年(2020年)3月16日午後)磐田市緑ケ丘の
岡部英一さんと共に、磐田市の鮫島海岸に来ました。
防潮堤に上りはるか遠州灘を眺望し、その後堤防駐車場に立て
られた
 「緑十字機不時着の碑」
を初めて見ました。
その碑には
 (歴史の記録)
   ・緑十字機の不時着
   ・日本の危機
   ・鮫島住民の支援
が、イラストと共にコンパクトに記載されていました。


先行する一番機(右)とそれに続き低空飛行する二番機(岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」より先行する一番機(右)とそれに続き低空飛行する二番機(岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」より


 皆さんは「緑十字機」という言葉を聞いたことがありますか?
「緑十字機」というのは 太平洋戦争終戦処理のため、連合国
から飛行を認められた日本の「終戦連絡機」の総称のことです。
連合国の指示で、機体は誤攻撃を防ぐため、
安導権(SELF-CONDUCT)を表す白を塗り、日の丸部分を塗り
つぶして、「緑十字」を描いていたため、「緑十字機」と
呼ばれています。
 一般的には マッカーサー連合国指令官からの命令で降伏条件を
打ち合わせるべく降伏軍使を乗せ昭和20年(1945年)8月19日、
木更津飛行場から、沖縄の伊江島まで飛行した
「降伏軍使機」である二機の海軍一式陸上攻撃
機が有名です。


岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」(静岡新聞社)岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」(静岡新聞社)


 緑十字機不時着に関しては平成18年(2006)に機体の一部が
波打ち際に打ち上げられ、新聞報道されました。
緑十字機はマッカーサーの命令による極秘任務を果たして、
沖縄伊江島から帰途の飛行中、深夜の磐田市鮫島海岸に緊急
不時着しました。
 その時に鮫島住民が活躍し、軍使一行を浜松飛行場へ無事
送り届け、日本の平和維持のために大きな役割を果たして
いたのです。
 岡部さんは、戦後平和に大きな役割を果した史実を、ひとり
でも多くの方に知って欲しいとの思いで、歴史を掘り起こし、
ジグソーパズルのパーツを一つ一つ根気よく埋めていき、
約9年間かけて、一冊の本
 「緑十字機 決死の飛行」(静岡新聞社)
にまとめ、出版しました。
この本は、昨年「静岡県自費出版大賞」を受賞しました。
日本のほとんどの方は8月15日に太平洋戦争が終わったと
思っていますが、日本の本当の危機は8月16日から始まった、
という立場に立ち、
 ・緑十字機、鮫島海岸に不時着す
 ・(検証)緑十字機、不時着の謎
 ・(資料)回想録・証言集
の構成で、緑十字機の不時着の前後の事実と、謎を
明らかにしています。
一読、当時の緊迫感が伝わってきて、かつサスペンスフル
でもあり、感動する内容に仕上がっています。

ソ連の北海道分割統治案(岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」より)ソ連の北海道分割統治案(岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」より)緑十字機の往路・復路 (岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」より)緑十字機の往路・復路 (岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」より)


 鮫島海岸に不時着した緑十字機に関し、少し詳しくみて
みましょう。

■当時の日本
 1945年8月15日玉音放送により、日本は太平洋戦争の終戦を
国民に知らせましたが、国際的な終戦(降伏)の手続きは
できておらず、正式な終戦の手続きは、翌日16日から始まりま
した。

 連合国司令長官マッカーサーは日本に対し、降伏の手続きを
始めたいので、全権団を沖縄伊江島経由でマニラに来るように
命令しました。
 当時、国際的にはソ連の北方領土への侵略、国内的は徹底
抗戦を訴える反降伏勢力があり、緊迫した状況にありました。
命令に基づき、軍使を乗せて 沖縄伊江島経由でマニラへ
向かったのが、緑十字機(2機)です。

 マニラで無事会議を終え、沖縄伊江島経由で千葉県の
木更津へ向かう途中、軍使と降伏文書を乗せた緑十字機は
(1機は故障で離陸できず)燃料切れという信じられない原因
のため鮫島海岸に不時着をしたのです。

 連合国指令長官マッカーサーは、緑十字機がマニラを飛び立つ前に全軍に以下のような通達を出していました。
 「この二羽の白い平和の鳩を、我々が無事に帰す 
  ことにより、この血みどろな太平洋戦争が終
  わりを告げる。個人的にはいろいろ怨恨もあ
  るだろうが、一指も加えず無事帰すように。」


鮫島海岸に不時着した一番機 ジオラマ製作 T NAKAGAWA 岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」より鮫島海岸に不時着した一番機 ジオラマ製作 T NAKAGAWA 岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」より


その後の顛末は「緑十字機 不時着の碑」に
記載された文章を以下紹介しておきます。
 
■緑十字機の不時着
 1945年(昭和二十年)8月20日23時55分
終戦処理のためマッカーサー連合国軍最高司令官の指示を受け、
降伏文書等の重要書類を運ぶ緑十字機(一式陸上輸送機、
搭乗員6名、軍使9名)が沖縄伊江島から千葉・木更津へ向かう
途中、原因不明の燃料不足で鮫島海岸に不時着した。

■日本の危機
 戦況下、軍使の東京到着の遅れは連合国に遅延工作と
みなされ、本土総攻撃が予想された。
ソ連軍も北方4島に侵攻し、北海道は一部が占領される
危機的状況にあり、列島は一時を争う緊迫状況に陥っていた。


鮫島海岸に不時着した一番機 ジオラマ製作 T NAKAGAWA 岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」より鮫島海岸に不時着した一番機 ジオラマ製作 T NAKAGAWA 岡部英一著「緑十字機 決死の飛行」より


■鮫島住民の支援
 不時着、そこに偶然居合わせたのが鮫島住民だった。
 ・軍使一行の道案内、
 ・リヤカーによる降伏文書等の運搬、
 ・茶の接待、
 ・濡れた衣服の乾燥、
 ・電話の案内
など迅速かつ的確な支援により、軍使一行は無事東京に戻り、
使命を果たすことができ、日本は事なきを得た。
もし、この鮫島住民の支援がなかったら、軍使は東京に戻れず、
本土決戦、日本分割統治の可能性があり、人々の命や財産が
どれほど失われたか計り知れない。
今日に続く永き平和は、この地 ・磐田市:鮫島海岸から
始まっている。

(注)この碑は、昨年(2019年)の台風19号に
  よる防潮堤復旧工事のため、一旦撤去して
  移設が予定されています。


沖合に今も緑十字機が眠る鮫島海岸沖合に今も緑十字機が眠る鮫島海岸1945年8月 軍使一行が休んだ鮫島公民館1945年8月 軍使一行が休んだ鮫島公民館


 岡部英一さんは 浜松市天竜区(旧天竜市)に生まれ、
磐田市に転居して43年になります。

 岡部英一さんが初めて緑十字機の存在を知ったのは、
平成18年(2006年)に市内の旧見付小学校で、鮫島海岸で
発見され、展示されていた緑十字機の尾翼部分を目にした時です。
地元の海岸にこのような飛行機が眠っていることに驚き、
関係文献を調べていく過程で、この飛行機が途轍もない歴史の
証言者であることを知り、以来、寸暇を惜しんで調査を
重ね、一冊の本
 「緑十字機 決死の飛行」
にまとめ上げました。

 岡部英一さんは 磐田市は「スポーツの街」だけではなく、
「歴史とスポーツの街」だと認識しています。
磐田市はスポーツの面ではサッカーのジュビロ磐田の本拠地
として、さらにラグビーや卓球王国として発展しています。
しかし、磐田市には、数多くの歴史の逸話が眠っており、
歳月の経過とともに忘れ去られていることを危惧しています。
この磐田市の埋もれた歴史を掘り起こし、市民の方々に提供する
ことをライフワークとしています。
自著「緑十字機 決死の飛行」を出版したのもそのためです。


岡部英一著「不味と宗雅と見付宿」岡部英一著「不味と宗雅と見付宿」


 また、岡部英一さんは 平成25年(2013年)に、書籍
 「不味と宗雅と見付宿」
を自費出版しています。
磐田市内に「見付」という場所があります。
昔から東海道の宿場町として栄えたところで、見付宿は
「出会いの宿」であるとして、茶道で師弟関係にある

 松江城主:松平治郷(はるさと)
        =不味(ふまい)
と、
 姫路城主:酒井忠以(ただざね)
        =宗雅(そうが)

の二人が参勤交代途上、見付宿で茶席を設けたという記録を
姫路市に残されている古文書をもとにわかりやすくまとめ、
見付の歴史の一面を掘り起こし、市民の方々に提供しています。


「一言坂の戦い」書籍表紙を手に岡部英一さん 一言坂戦跡碑の前にて「一言坂の戦い」書籍表紙を手に岡部英一さん 一言坂戦跡碑の前にて


 今、岡部英一さんは 元亀3年(1572年)の磐田市の一言坂
における、武田軍と徳川軍の戦い「一言坂の戦い」をまとめ、
書籍にして市民の方々に発信しようと、忙しい毎日を送ってお
られます。

「一言坂の戦い」とは「三方が原の戦い」の前哨戦であり、
この後に「二俣城の戦い」、「仏坂の戦い」があり、
「三方が原の戦い」に繋がっていきます。
「一言坂の戦いは」徳川軍の撤退戦であり、武田軍の圧勝と
伝えられていますが、資料が遺されておらず、謎の多い戦いです。
執筆の進捗は、まだ10%くらいとのことですが、
目標として、「三方が原の戦い」の450周年である
2年後(2022年春)を目安に完成させたいとのことです。

 どのような小さな地域にも(歴史)はある
ものです。それを一つ一つ堀り起こし、まと
めて形ある資料として後世に伝えていくこと
は非常に有意義なことだと思います。

岡部英一さん、
健康に十分注意されて、是非「一言坂の戦い」を完成させて
ください。
岡部英一さんは 緑十字機に関する講演会等も行って
おられます。
お問合せは(080−5126−1812)まで。


 磐田・周智地区 生きがい特派員 戸田孝

 


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