地域元気活動

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2013/03/08

興津の薄寒桜 100年の歴史

ご存知でしたか?


      米国、ワシントンの


                     清水区、興津の薄寒桜

           兄弟だったことを!


 日米友好のシンボルとして、日本の桜がアメリカに送られたことは有名ですが、その苗木が興津で生産されたことは、以外に知られていません。


 
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興津の薄寒桜
一月頃から咲き始める早咲きが特徴 


〜〜〜日米友好の桜の誕生の地、興津〜〜〜


 日本の桜の苗木がアメリカに送られたのは、1912年(明治45年)、いまから100年前のことです。

 この苗木が作られたのは、静岡市清水区にある「果樹研究所カンキツ研究部興津」(通称、興津カンキツ試験場)。 担当したのは熊谷八十三技師でした。(西園寺公望と関わりのあった方)


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 実は、東京興農園より2000本の苗木が明治43年にも送られたのですが、農薬のない時代、苗木は船上で病害虫が大発生し全て焼却処分されしまいました。
 日本の威信をかけて再度送るため、苗木づくりを興津カンキツ試験場に委託されたのです。大変な労苦の甲斐あって明治45年6040本(59種類)を送ることができました。病害虫の発生もなく
無事に到着でき、ワシントン、ポトマック河畔に植えられました。
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 ワシントンに贈られた苗木と兄弟とされる苗木が、興津カンキツ試験場に残されましたが、戦争を経てほとんどが枯死してしまい、薄寒桜一本だけが残りました。


 残ったこの薄寒桜をなんとか残そうと頑張ったのが、今は亡き青木氏でした。(静柑連技術者 )


 当時青年だった佐野林作さんは青木さんのことを知り、
青木さんの思いに感銘を受けて行動をともにしたのです。接ぎ木から増やした二世は薩埵峠にも植えられました。

 佐野さんは、日米友好のシンボルである桜の
100年の歴史は、興津の歴史でもあるこの桜を大切に次の世代に伝え、「興津から世界に羽ばたくように」との願いを込めて、薄寒桜を育てる会を立ち上げたのです。


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「薄寒桜まつり」の立役者の佐野林作さん(83歳)


 興津の海岸沿いは、バイパスが通ることとなり、歴史的にも有名な座漁荘清見寺を代表する建物、風光明媚な海浜は、変容してしまった。
 連合自治会の副会長を務めていた佐野さんは、以前の興津を再建したいと、国や県に対し交渉を続け、人口海浜の着手など、「地域町並みデザイン推進協議会」にかかわり、自らができることを実践すべく、
平成12年に「緑化推進事業」のなかに「薄寒桜を育てる会」を取り込み、地域ぐるみの活動を始めたのです。清見潟公園を中心に植樹を始め、今では町内、興津川沿いなどにも1,000本ほどが植えられているそうです

 その後、商工会議所の地域の町おこしと連携し、「興津 薄寒桜まつり」が始まりました。今では来場者が3万人を超える盛況となっているそうです。


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興津の家々に飾られた薄寒桜(2月10日)



〜〜〜薩埵峠の薄寒桜〜〜〜


 接ぎ木で増やした二世は、由比の薩埵峠にも(15本ほど)植えられました。一月に咲く、日本の中でも最も早いとされる薄寒桜は、峠でも見事に成長し咲き誇っていました。
 今では、ハイキングに来る人々を楽しませてくれています。



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薩埵峠の見事な薄寒桜(2月)


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海を真下に望む薄寒桜
 


今年のまつりの風景(平成25年2月10日)


                 


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3万人以上の来場者でにぎわう清見潟公園 
生涯学習センターを望む)


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「薄寒桜を育てる会」の皆さん


  


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宮様饅頭で有名な潮屋さんに
飾られた薄寒桜


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桜の下で春のようなひとときを楽しむ人々

「佐野さんの願いは花開いたようですね。」の問いかけに、まだまだ!今後更に2,500本の植栽を計画。5年後が楽しみと、美しい興津の町の未来を見据えていらっしゃいました。

 静岡地区生きがい特派員   青山小代美




   
                

 


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